おかしな記事を見つけたので紹介したい
この記事によるとGoogleの男性エンジニアが「女性はコーディングに向いてないから無理に半々にするべきじゃない」という文章を社内で公開し、それが差別発言であるとして炎上しているらしいのです(詳しくは下記リンクを一読ください)
記事によれば「女性はコーディングに向いてない」という主張が根拠に基づいていないため「差別」になるとの事だが、本当に根拠がないのか?
記事内ではGoogle社員の男女比についても触れているが、それによると「Googleの男女比率は半々に程遠い(男性が多い)」らしい
・・・・・??? それが根拠ジャン
恐らく筆者はエンジニアの女性比率が低い事に対して「女性も本当は男性と同じくらいエンジニアに向いている人がいる!本当は出来るけど出来ない事になっている!」と主張したいのでしょうが、皮肉にも「結果」がそれを否定していることに気が付いていない
この手の自称平等主義者はたいてい「結果」の重要性を理解出来ていない
例えばエンジニアの業界に関して言えば、今の時代パソコンさえ持っていれば誰でもプログラミングを学習できるし実際にコーディング技術が高ければ言わずもがな社会から評価される仕組みが整っている
その環境において女性のエンジニアが少ないという「結果」が生じているわけだから、それ以上に信憑性のある根拠は無いのだ
「本当はやればできるんだ!」と言ったところで結果が伴っていないわけだから単なる妄想の域を出ない
またそういう状況において男性エンジニアが「女性はコーディングに向いていない」と感じてしまっても致し方ないのである
つまり差別でも何でもない
ちなみにこの事に対してダイバーシティ担当副社長として就任したばかりのダニエル・ブラウンさんという女性はこう述べたそう
「私もあれを読んで、ジェンダーについて間違った仮説を提示していると思いました。Googleがダイバーシティについて断固とした態度をとっているからこそ、こういう過激なリアクションもあるんです。カルチャーを変えるのは難しいし、居心地の悪い人もいるでしょう。それでも正しい道だと信じるから、この仕事を受けたんです」
案の定意味の分からない感情論である
アホすぎてツッコむ気すら起きない
そもそも平等を履き違えている
そもそも論として男女に差が出るのは当然の事
別の性別として誕生しているにも関わらず全く同じ能力が備わっていて、何の差も存在しないという事は確率的に起こり得ないのだ
例えばこれは人種に置き換えてみるとよく分かる
昨日世界陸上の100m走がテレビで放送されていましたが、決勝戦のメンバーのうち何人が黒人であったでしょうか?
実に「8人中7人」が黒人であった
これは誰がどう見ても人種間の「差」であるが、果たしてこの差を無理やりにでも無くすことが正しいのだろうか? そんなわけが無い
先ほどの記事によると「女性はコーディングに向いていない」という発言は差別になるらしいのだが、「日本人は短距離走に向いていない」と私が発言したらこれも差別になるのだろうか・・・?
それはともかくスポーツの世界ではどんな人種であれ結果が出れば上に行けるし出なければ上に行けない
その結果として黒人が多かろうが白人が多かろうが何の問題も無いのだ
つまり門は全員平等に開かれており、あとはその人の残す結果次第という究極の「平等」のうえで成り立っている
これは何の業界に対しても正しい仕組みであると言える
先ほどのエンジニア業界においても、元々エンジニアを目指す人の殆どが男性でそれに見合った結果を残してきたのも殆どが男性であるのだからGoogleのような大手IT企業が男性ばかりになるのは当然の結果であって何の間違いでもないのだ
そこから「女性は向いていない」と推測されても仕方がない 十分に根拠があるのだから。。。
これを差別と履き違えて、かつ非合理に男女の比率を合わせることが平等だとかダイバーシティ()だと思っているのなら本当に救いようがないバカである